葬式疲れ?

一昨日、昨日と二日間親戚の通夜、葬儀に詰めていた。
花梨がしゃしゃり出る幕では無いのだが、体調の悪い喪主に頼まれていたので少しばかり気を配った。
一昨年の自分が喪主(のようなもの)の時は舞い上がっていたのか記憶に無いが、今回はかなり冷静に式の次第を観察した。
こういうものは完璧にやろうと意気込む事も無いのではあるが、我が家の時は“落ち”が多かったような気もする。
次は上手くやるぞ、と思うのも変か?
《お清め》の塩は付いている事が多いが、《死》は忌み嫌う事では無いとの考えから《お清め》は付けない所もある。
阿弥陀様のお傍へ目出度く行くのだそうである。
最期は誰しもカラカラの骨になって小さな壷に納まる事を思えば、あーでも無い、こーでも無いと些細な事に一喜一憂している毎日が滑稽でもある。
他人様の死は、己の生を見直す良い機会だとも思える。